第15回野生生物保護学会(東京・日本獣医生命科学大学)大会
シンポジウム

  

 豊富で多様な食資源は私たちの食生活を豊かに彩ってきました。これらの中には人の手によって栽培され、育てられたものもありますが、山から、そして海からもたらされた自然の恵みも数多く含まれています。
 その一方で、自然の産物が以前に比べて量も質も変わってきたことが懸念されるようになりました。たとえば、江戸前と呼ばれた東京湾では寿司ネタに使われる魚や貝の種類が少なくなってきました。これは単に海が汚くなったというだけでしょうか。今回は、私たちの日常的な食生活を通じて、食材の由来をたどり、食産業、漁業、そして農業を取り巻く地域の自然を含めて、自然(生物多様性)とのつながりを考えてみたいと思います。


テーマ:
「食資源からみた生物多様性 〜食産業、漁業、農業とのつながり」

日 時:

2009 年11 月8 日(日)9:00〜11:00am

場 所:

日本獣医生命科学大学 C 棟C501 教室

参加費:

無料

演者と演題:
  1. 環境事業・農業・食産業からみた生物多様性への貢献
    株式会社 アレフ・環境保全室 稲田武士
  2. 東京湾の漁業と海の再生
    船橋市漁業協同組合長 大野一敏
  3. 農業者による自然共生農業システムの開発と農業農村環境政策
    日本獣医生命科学大学・名誉教授 松木洋一
  4. 総合討論
    座長:江戸川大学・教授 吉田正人

環境事業・農業・食産業からみた生物多様性への貢献

Contribution to Biodiversity from Environmental, Agricultural and Food Business

稲田 武士
INADA, Takeshi
キーワード:社会、地域、農業、環境への取組
1.背景

 アレフでは、「食」に携わる者として、生物多様性を復元・保全する事は私達の「食」を守る事であり、生物多様性は「食」の安全性の指標であると考え、生物多様性活動に取り組んでいる。

2.社会と地域への貢献

 2003年9月に札幌で開催した「生物多様性シンポジウム」(来場者2800 名)を始め、過去6年間にシンポジウム・フォーラム・勉強会などを21回開催し、世界各国から講演者を招き、延べ約12,000名の市民や専門家・農業者等に来場を頂き、各シンポジウムの内容をまとめた本や「生物多様性早わかり読本」なども出版し、生物多様性に関わる普及活動を行っている。また、北海道恵庭市で運営する「えこりん村」では、2007年度から植物や農業・代替エネルギー技術などを通した環境教育や自然学習の機会も提供している。さらに、北方植物の保全にも着手し、これまでに750種の北方植物を保全しており、今後は遺伝資源保存に向けた活動を開始する予定である。

3.農業での取組

 2004年度より、セイヨウオオマルハナバチ問題に取り組み、捕獲活動を開始、トマト栽培の契約農家に対しては、同種をポリネーターとして使わない農法の情報を提供し、2008 年度に切り替えを完了した。 捕獲活動には市民及び社員も参加している。また、生物多様性を生かした稲作として「ふゆみずたんぼ」の実践と普及活動を行っている。自社で、1反のデモンストレーション田んぼを造り、生き物・生育調査、土壌分析等を定期的に行い、「ふゆみずたんぼ」を始めた農家や生物多様性を活用した農法を実践する農家の取組を間接的に支援している。1995年から、国内自給率の改善と輸入飼料削減及び安心・安全を目的に、生物多様性に配慮し農薬を使わず、自家生産の牧草のみで飼育する農法の実践と普及活動に努めている。2007年度からは、牧草地の生き物調査を実施し、牧草地における指標の体系化にチャレンジしている。

4.環境への取組による間接的貢献

 2007年2月に完成した北海道工場では、自社や近隣の小学校で栽培したナタネを使うナタネ油のプラントや店舗と市民から回収した廃食油のプラントによる、車両へのBDF供給やボイラーへの利用、店舗の生ゴミと畜産廃棄物を利用したバイオガスや風倒木・間伐材を利用した木質ペレットボイラー等のバイオマスエネルギーの利用、更に地中熱ヒートポンプやソーラーパネル・太陽熱利用、雨水利用・植物浄化システム等の導入により55%のCO2 の削減を実現している。


(株)アレフ 環境保全室 えこりん村(株) 監査役 (株)蔚珍ロハスコリア 専務取締役


東京湾の漁業と海の再生

Restoration of Fishery Resources and the Nature of Tokyo Bay

大野 一敏
OONO, Kazutoshi
キーワード:海の再生、漁業、三番瀬、東京湾、流域管理

 東京湾に位置する船橋の前浜は、かつて船橋浦(字三番瀬、字西浦、字高瀬)と呼ばれ将軍徳川家康が認めた好漁場で江戸城御用達の御菜浦として魚を献上した。そして今も東京湾漁業を支える多様な水生小動物が生息する貴重な浅海漁場だ。

 日本では、高度経済成長の名の下に、東京湾の大規模埋め立てが進められた1962 年。米国サンフランシスコ湾では、カリフォルニア大学バークレー校の学長夫人をはじめとする人々が、”Bay or River(海のままか、水路にするのか?)”というスローガンを掲げて、埋め立てに反対した。その結果、1965年にはSave the Bay Act が生まれ、1968 年には”湾はかけがえのない天然資源”と位置づけたベイ計画が作られた。1982 年には、太平洋に面したチェサピーク湾でも、分水嶺から湾内まで、農業も漁業も含んだチェサピーク湾計画が作られた。

 これにひきかえ、東京湾ではいまだに総合的な流域管理計画がなく、一都三県がまばらに対応しているのが現状である。2001 年、千葉県の堂本前知事は、三番瀬の埋立計画を白紙に戻し、三番瀬再生計画を策定した。その一方で、東京都では2009 年の今も羽田空港拡張に伴う埋立てと、東京港外堤防で広さ380 ヘクタールのごみの埋め立てが進められている。

 都市に住む人々は、東京湾がアサリやノリを育む豊な漁場であり、スズキやマイワシが豊富に漁獲されている事実を知らない。”湾はかけがえのない天然資源”と位置づけた米国が食糧自給率130%を誇り、農業も漁業もおろそかにした日本は食料自給率40%にも満たない。生物多様性を保全するには、まず目の前の東京湾の再生を図り、食を通じた海と人との関係を取り戻すべきであろう。


大野 一敏(おおの かずとし)
1939 年千葉県船橋市生まれ。漁船「大平丸」社長。
1985〜90 年、2005 年〜現在、の2度にわたり、船橋市漁業協同組合長をつとめる。
NPO 法人「ベイプラン・アソシエイターズ」代表、千葉県三番瀬再生会議委員。


農業者による自然共生農業システムの開発と農業農村環境政策生

Development of Farmers’ Nature Symbiotic Farming System
and Agricultural & Rural Environmental Policiesy

松木洋一
MATSUKI,Yoichi
キーワード:農業自然、生物多様性保全社会、自然共生農業、高自然価値、生物指標ブランド、アグリフードチェーン、EU環境直接支払政策
1.報告の背景と課題

日本や欧米などの先進国の自然は、ごく一部の原生自然を除き、大部分は人間の数千年間にわたる農耕活動によって改変され管理されてきた「農業自然」である。そのような長い歴史の中で農業者は工業のように人工的に製品を造るのではなく、生物を育てる担い手として、多様な生物と共生する農法によって農産物を生産してきた。農業者が生物多様性保全の視点を失くし、栽培作物・家畜以外のすべての生物を害虫・害草・害獣として排除してきたのは、農薬や化学肥料、化石エネルギーに依存する近代農法が導入された戦後の50年間に過ぎない。その間、地球温暖化、環境汚染、食品安全危機が発生するとともに多種の生物の絶滅が起こった。地球温暖化対策への全世界的な取り組みとともに生物多様性を保全することが国際社会の重要な課題となっており、その課題を実現するために自然保護にかかわる多くの市民や専門家がその担い手として成長してきており、企業のCSRや政府による支援対策が発展してきている。しかしながら、多様な生物が生息する空間である農地、林野、河川、海洋の占有者であり経営者である農林漁業者(以下農業者)の担い手としての認知がされてこなかった
本報告は日本の「農業自然」は農業者自らが保全し、そのためには自然と共生する農業システムを開発し、その新しい農業システムによる生産物には「高い自然価値High nature Value」が付加価値として包含されているという理論を提示する。そして、その商品価値を評価し、購入消費する食品企業と消費者が共に参画するアグリフードチェーンの開発課題を取り上げる。また、このようなベンチャー産業を支援していくための政策的課題を取り上げる。

2.自然共生農業の概念

自然共生農業とは多様な生物生態系を保全する技術を基にして多面的機能を生産するものと定義することができる.農業は、食物と繊維を生産し、農業景観を形成し、生物生態系、生物多様性、水、大気、土壌、家畜の福祉に影響を与え、農村地域に雇用をつくる産業である。最近では地球温暖化の回避を目的とする世界的な環境政策の一環として、化石燃料である石油等に取って代わるエネルギー源であるエタノールを生産するために、燃料作物(トウモロコシ、ナタネ)を生産する役割が追加されている。このように農業活動は複数の生産物やサービスを一体的に産出する『多面的機能』をもっている。
日本やヨーロッパなどの先進国のみならず、世界全体において農業の多面的機能が重視されており、WTOの農業交渉においても多面的機能への補助金支給が認められる方向に動いている。この農産物の供給以外の多面にわたる機能を改めて重視し、とくに農場における生物多様性の保全についての機能の発揮を促進する活動が始められている。
多面的機能は主に5つに区別される。
第1は、安全で安心な農作物を安定的に供給する機能である。
第2は、多様な生物と共生するエコロジカル機能、
第3は、教育的機能と科学情報提供機能であり、自然資源、生物生態系についての情報を研究者や消費者に提供することが求められる。
第4は、文化的・景観上の機能である。これは日本ではあまり論じられないが、ヨーロッパでの多面的機能はこの文化的・景観上の機能がもっとも重視されている。
そして第5は、野外レクリエーション機能である。
自然共生農業は、第1の農作物の生産(供給)機能だけでなく、第2から第5の機能までを総合的に供給する農業を指すのである。

3.EU及びUKのNature Management Farming の進展と環境直接支払政策

(1)EUの自然管理農業

EUとくにオランダやイギリスで用いられている用語である「Nature Management Farming」は「自然管理農業」と訳されるが、あえて「共生」という言葉を利用したことには次のような理由がある。「管理」という場合、自然は人間の管理対象となり、両者の関係は一方通行となってしまう。また「共生」に近い「共存」の場合、人間と自然との関係に主体性が入らない。自然生物も人間も主体性をもち、かつ双方向の「依存性のある」意味として、ここではあえて「共生Symbiotic」という概念を採用した。日本やアジアでは人間と自然生物は一体的なものとしてとらえる自然観が根付いており、西欧と違った意味をもつ自然共生農業NatureSymbiotic Farming が適切であると考えられる。
EUの「自然管理農業:Nature Management Farming」は、農業の歴史上、新しい動きといってよい。自然管理農業の概念は1980年代から1990年代中頃にオランダやイギリスで始まっている。この基本的な考え方は、自然管理は自然保護団体ではなく、土地所有者である農業者自身が管理者となるべきというものである。

(2)直接支払政策の導入

EUは17 年前に共通農業政策(CAP)の大改革を行い、「農業環境規則2078/92『環境保護と農村発展のための農法転換についての規則』」による農家への直接所得補償保障制度を導入した。所得補償制度は、それ以前の価格支持政策の廃止に際して、減額した分を農家に補償しようというものであった。EUはその後、所得補償を廃止し直接支払い制度に移行している。EUの世論は、なぜ、失業率が二桁台と近いにも拘わらず、農家だけを特別扱いするのかと、農家への所得補償に批判的であった。この批判に答えるために、単なる所得補償から直接支払い制度に移行したのである。農業者が多面的機能を「生産」する対価としてお金を払うというのが、直接支払い制度の思想である。したがって、どのような対象にお金を支払うのかが問われることになる。近代化農法が環境破壊の原因となっていたことへの反省に立った上で、直接支払いの対象が決められている。EUは、下記に該当する場合、農家に直接その対価を支払っている。

  1. 化学肥料の削減・維持、有機農業への推進
  2. 粗放的耕種農業(飼料作を含む)の維持・新規導入、草地農業への転換の場合
  3. 加工型畜産からの脱皮と水質汚染の軽減のために飼料面積単位あたりの羊・牛の飼育数の削減(2.4 頭/単位面積を目標)
  4. 自然環境保護および農村景観管理、地域で絶滅の危機にある動物・品種の保護飼育
  5. 荒廃化している農地・森林の維持管理
  6. 農地を少なくとも20 年間は休耕にし、ビオトープや公園として提供する場合
  7. 市民のレジャー活動に供する場合

(3)UKイングランドにおける新農村開発政策と環境スチュワードシップ事業

イギリスはEUに先駆けて2007 年1月から新しい農村開発計画(2007 年〜2013 年)とその主要事業である環境管理者振興事業(Environmental Stewardship Scheme)を開始している。これは従来の環境優先保護地域振興事業(Environmental Sensitive Area Scheme)と田園管理振興事業(Countryside Stewardship Scheme)、有機農業振興事業の3つを継承・発展させた新たな農業環境政策である。田園管理者(CountrysideStewardship)から環境管理者(Environmental Stewardship)への名称変換をともない、この事業では農場おいて求められる環境保護基準を遵守するすべての農業者と土地所有者へ直接支払い金を支給するものである。すなわち小鳥や小哺乳動物の生息地としての生垣、ハチや益虫のための野生花園、カエルやイモリなどの野生動物のためのビオトープを管理する農業者と土地所有者すべてが支払いを受けられる。
この事業の主な目標は以下の4点である。

  1. 野生生物の保護(生物多様性)
  2. 景観の保護と質の向上
  3. 歴史的環境と自然資源の保護
  4. 市民散策へのサービス提供と田園管理についての理解の向上

副次的事業としては遺伝子保護と洪水管理がある。
環境スチュワードシップ(Environmental Stewardship; ES)には3つのレベルが設定されている。
初級レベル管理者(Entry Level Stewardship; ELS)はビオトープとして生け垣や圃場畦畔
バッファゾーンの保全を実行し、ヘクタール当たり年間30 ポンド(約7,500 円)が支払われる。有機農業レベル管理者(Organic Entry Level Stewardship; OELS)は完全な有機農業、あるいは転換中として登録された土地での有機管理活動を行い、ヘクタール当たり60 ポンド(約1 万5,000 円)まで支払われる。上級レベル管理者(Higher Level Stewardship; HLS)は、地域で環境的に優先される基準を遵守する目標を持ち、初級レベル及び有機農業レベル管理の上に置かれる。重要なビオトープの設置管理や絶滅危惧種の保護、回復などが活動の項目としてあげられている。

4.日本における自然共生農業と生物指標ブランドの開発事例

  1. 「オオヒシクイブランド米」を生産する自然共生農業
  2. 長野県上伊那郡飯島町の「1000 ヘクタール自然共生農場」
  3. 長崎県対馬市の「ツシマヤマネコ自然共生農場」

5.日本の農業農村環境政策の課題

日本の農業政策は戦後においてドイツをモデルにした農業構造改善事業を中心に農業生産性と効率性を高度化することを目標としてきた。そのEUの共通農業政策(CAP)は1970 年代からの自然にやさしい農業への市民要求に沿って改革され、とくに90 年代にその農業生産政策から農業環境政策へ大転換した。それに比べ日本の農業政策は本格的にいまだ生産政策から環境政策への転換を実現していない。日本の環境負荷を出来るだけ抑えた農業政策に「環境保全型農業」振興があり、その概念は「環境に対する負荷を極力小さくし、さらには環境に対する農業の公益的機能を高めるなど、環境と調和した持続的農業」と定義づけられている。その構想の下に1999 年に「持続性の高い農業生産方式の導入の促進に関する法律」が施行され、担い手としてエコファーマーが認定されている。しかし、その柱は、化学肥料や農薬の軽減と有機堆肥の施用を振興するだけにすぎなく、生物多様性保全の内容は皆無である。
EUのように従来の慣行近代化農法による生産政策についての徹底的な反省と農業環境政策への転換のために現行の食料農業農村基本法の改革が不可欠である。その改革内容の柱として「農業自然の番人」AgriNatureSteward の人材育成のための教育事業と、農業者が自然共生農業経営を開始するための経済的助成事業が必須である。助成事業としては農業者の自然共生農業活動への労働報酬としての環境直接支払金の給付が要である。同時にこのような新たな価値を有する農産物商品の流通・消費市場を形成するためには、農業者と食品企業、消費者・自然保護市民などによるパートナーシップ共同事業として、生物指標ブランドとアグリフードチェーンの研究開発が必要である。また新たなベンチャービジネス育成のための産業政策が必要である。

 

日本獣医生命科学大学(名誉教授・農業経済学)